私の城攻め 岡山城 2022.12.12
私の城攻め 岡山城 2022.12.12
岡山城の歴史は、
宇喜多直家が、岡山城の前身となる石山の城を手に入れたことから始まります。
本格的な城下町づくりは、直家の子の宇喜多秀家が行いました。
その後、小早川秀秋、池田家と歴代城主が城下町を整備し、
現在の岡山のまちへとつながっている
2022年11月3日 岡山城は令和の大改修を終えてリニューアルオープン
岡山城の歴史
1573年 宇喜多直家は石山城に入城
1590年~ 宇喜多秀家によって岡山城に改築される
(1600年 関ヶ原戦に負け、八丈島に配流となる)
1600年 小早川秀秋が備前美作52万石の藩主として入城
(1602年 無嗣改易 小早川家断絶)
1613年 池田忠継が備前28万石を与えられ入城
1615年 池田忠雄が31.5万石で入城、岡山城の縄張りを完成させる
(1632年 因幡鳥取藩に転封)
1632年 池田光政が因幡鳥取藩から転封となる
1687年~ 池田綱政が後楽園を造営する
1869年 版籍奉還で岡山城は存城となる
1873年 廃城令により取り壊し始まる
1931年 天守が国宝に指定される
1945年 岡山空襲で天守焼失
1964年~ 天守を鉄筋コンクリートで再建
1987年 岡山城址として史跡に指定される
2006年 日本100名城に選定される
岡山城主の人物像
1代 宇喜多秀家
宇喜多家は関ヶ原の敗戦で改易となるが、子孫は幕末期まで存続
関ヶ原の戦い時の同時代人
3代 池田 忠継 から 10 代 池田 斉政 までは直系池田氏
14 代 池田 章政 と
15 代 池田 詮政 は相良氏の血筋
なれど相良長寛は池田宗政の子で池田氏の血筋を継ぐ
11代 池田 斉敏 と
12代 池田 慶政 は島津氏の血筋
島津斉宣の娘郁姫から
13 代 池田 茂政 は徳川氏の血筋 徳川慶喜の弟
人物像を「血系図」から見てみると、色々興味深い人物が登場してきました
岡山城主
1 宇喜多秀家 1573 ~1655
2 小早川秀秋 1582 ~1602
3 池田 忠継 1599 ~1615
4 池田 忠雄 1602 ~1632
5 池田 光政 1609 ~1682
6 池田 綱政 1638 ~1714
7 池田 継政 1702 ~1776
8 池田 宗政 1727 ~1764
9 池田 治政 1750 ~1818
10 池田 斉政 1773 ~1833
11 池田 斉敏 1811 ~1842
12 池田 慶政 1823 ~1893
13 池田 茂政 1839 ~1899
14 池田 章政 1836 ~1903
15 池田 詮政 1866 ~1909
備前岡山藩主の血筋
池田輝政
伊達政宗
黒田長政
立花忠茂
島津綱久
徳川家康
があります
池田斉敏(岡山藩主9代)は島津斉彬(薩摩鹿児島藩11代)の弟
池田茂政(岡山藩主11代)は徳川慶喜(徳川15代将軍)の弟
岡山城の参照ブログ