毛利重就の娘の血系図
毛利重就の娘佐代(鷹司輔平)の血筋
第1次西園寺内閣、第2次西園寺内閣を組閣した。
1916年正式な元老となった。
「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、
実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。
毛利重就の娘友子(山内豊雍)の血筋
山内豊信:土佐藩連枝の南邸山内家当主・山内豊著の長男
諱は豊信 隠居後の号は容堂
酒と女と詩を愛し、自らを好んで「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」
や「酔翁」と称した。
藩政改革を断行し、幕末の四賢侯の一人として評価される一方で、
一見中途半端な態度をとったことから、
「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄
三条実美:公卿三条実万の三男として生まれる。正室山内紀子の子
幕末には尊王攘夷・討幕派の中心的な人物であり、
明治維新後は元勲の一人として右大臣、太政大臣、内大臣、
貴族院議員などを歴任した。
尾道ゆったり歩き記より転記
私の城攻め 萩城3
志都岐山神社
円政寺
七代藩主毛利重就の娘の血筋
幕末まで続いている血筋に幕末・明治維新期に活躍する誰もが知っている人物が傑出しています。
毛利重就の娘佐代(鷹司輔平)の血筋
菊亭家26代 菊亭脩季
徳大寺家27代 徳大寺実則
西園寺家37代 西園寺公望
住友家 住友友純
毛利重就の娘友子(山内豊雍)の血筋
土佐高知15代藩主 山内豊信(容堂)
土佐高知16代藩主 山内豊範
筑前秋月12代藩主 黒田長徳
山内豊策の娘紀子(三条実万)
三条家31代 三条実美