長門萩藩 1

  長門萩藩の血系図

萩藩の歴史は 「尾道ゆたっり歩き記」より転記します

 

 

 萩城

f:id:yo3519:20210828115358j:plain

天守台から

 

f:id:yo3519:20210828115430j:plain




 

萩城は1604年に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれる。

毛利輝元f:id:yo3519:20210828115521j:plain

山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城です
本丸には高さ14.4mの五層の天守がありましたが、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されています

f:id:yo3519:20210828115629j:plain

城跡は指月公園(しづきこうえん)として整備され、二の丸入口近くに旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(重要文化財)が現存し、松下村塾や侍屋敷などとともに萩市の観光名所となっている。

萩城の歴史

1600年 関ヶ原の戦いで西軍総大将となった毛利輝元

    安芸国ほか8か国で112万石の大大名であったが、
    敗戦により防長2か国29万8千石に減封された。
1604年 毛利輝元広島城に代わる新たな居城として萩城を築く
1863年 藩主毛利敬親は幕府に無許可で藩庁を山口城に移す(山口移鎮)
1874年 廃城令により天守・櫓などの建物を破却。
1967年 萩城下町が国の史跡に指定される。
2006年 日本100名城(75番)に選定される。
2015年 ユネスコ世界遺産
    「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」

    の1つとして登録される。

 

萩城主の人物像
人物像を「血系図」から見てみると、色々興味深い人物が登場してきます

     *お詫び:「血系図」の画素が小さくて読みづらいので、申し訳ございません。
           容量の問題でこれ以上の画素はアップロードできないのです

毛利氏

f:id:yo3519:20210828115931j:plain


長門萩初代藩主 毛利秀就1595-1651
長門萩二代藩主 毛利綱広1639-1689
長門萩三代藩主 毛利吉就1668-1694
長門萩四代藩主 毛利綱広の子 毛利吉広1673-1707
長門萩五代藩主 毛利綱元の子 毛利吉元1677-1731
長門萩六代藩主 毛利宗広1717-1751
長門萩七代藩主 毛利匡広の子 毛利重就1725-1789
長門萩八代藩主 毛利治親1754-1791
長門萩九代藩主 毛利斉房1782-1808
長門萩十代藩主 毛利治親の子 毛利斉煕1784-1836
長門萩十一代藩主 毛利親著の子 毛利斉元1794-1856
長門萩十二代藩主 毛利斉煕の子 毛利斉広1814-1837
長門萩十三代藩主 毛利斉元の子 毛利敬親1819-1871
長門十四代藩主 毛利広鎮の子 毛利元徳1839-1896

長門萩初代藩主毛利秀就の直系血族は四代藩主毛利吉広で絶える

f:id:yo3519:20210828120040j:plain



五代藩主毛利吉元は長門府中初代藩主毛利秀元の血筋

f:id:yo3519:20210828120125j:plain



七代藩主毛利重就は長門清末初代藩主毛利元知の血筋

f:id:yo3519:20210828120224j:plain



十四代藩主毛利元徳は周防徳山初代藩主毛利就隆の血筋 となる

 

yo3519.hatenablog.com