NHK「光る君へ」は平安時代の貴族世界が興味深く描写されています
紫式部(むらさき しきぶ)は平安時代中期の女房、作家、歌人。
『源氏物語』の作者とされ、『紫式部日記』を、歌人として『紫式部集』を残した。
父は藤原北家良門流の越後守・藤原為時、母は摂津守・藤原為信の娘。
父方の曽祖父には三条右大臣・藤原定方や堤中納言・藤原兼輔があり、
一族には文辞で聞こえた人が多い。父為時も漢詩人、歌人として活動した。
親子ほども年の差がある山城守・藤原宣孝と結婚する。
999年に一女・藤原賢子(大弐三位)を儲けた。
この娘も『百人一首』『女房三十六歌仙』の歌人として知られる。
宣孝と死別した、その心情を詠んだ和歌
「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」
1002年ごろ、宮廷生活や恋愛を描いた作品『源氏物語』を書き始める。
のちに藤原道長に召し出され、
藤原賢子(大弐三位)(ふじわら の かたいこ / けんし)
大弐三位(だいにのさんみ)は、平安時代中期の女流歌人。
女房三十六歌仙そして百人一首の歌人として知られる。
その後、関白・藤原道兼の次男・兼隆と結婚、一女の源良宗室をもうけた。
母の後を継ぎ一条院の女院彰子(上東門院)に女房として。
親仁親王(後冷泉天皇)の誕生に伴い、その乳母に任ぜられた。
東宮権大進・高階成章と再婚、1038年 高階為家と一女をもうけている。
「ありま山ゐなの篠原風吹は いてそよ人をわすれやはする」
『後拾遺和歌集』 第十二 恋二
藤原道綱母(ふじわらのみちつな の はは)平安時代中期の歌人。
『蜻蛉日記』の作者。
「なげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかはしる」
小倉百人一首・53番
『更級日記』の作者・菅原孝標女は道綱母の妹が母であり、姪に当たる。
菅原孝標女(すがわらの たかすえの むすめ)
平安時代の貴族の女性。本名は伝わっていない。
10歳頃から50歳頃までの人生を回想した『更級日記』の作者。
『浜松中納言物語』『夜半の寝覚』の作者ではないかとも言われる。
母は藤原倫寧の娘。
伯母は『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母。
「血系図」?知らない!
「血系図」とは
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