「血系図」からみる歴史事件簿 (19)橘奈良麻呂の変 757年

強まる藤原仲麻呂の権勢に、あせった橘奈良麻呂や大伴古麻呂らは、
孝謙天皇を廃して新帝を擁立するクーデターを計画しました。
しかし事前に察知した藤原仲麻呂により、
関係者粛清され、以降仲麻呂の権勢はさらに強まりました。
橘奈良麻呂の乱
757年 橘奈良麻呂・大伴古麻呂・小野東人・黄文王・安宿王らが
集まり、挙兵することを誓約。
「橘奈良麻呂・大伴古麻呂・安宿王・黄文王らが一味して兵を発して仲麻呂の邸を襲い殺し、皇太子を退け、次いで天皇を廃して、塩焼王・道祖王・安宿王・黄文王の中から天皇を推戴する」
山背王(黄文王の弟)の密告で計画が発覚、一味が捕縛される
黄文王は拷問により獄死、安宿王は佐渡へ配流
塩焼王・道祖王 は自害を命じられました
聖武天皇の意思が無視された構造
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756年 :道祖王を皇太子にと聖武天皇が遺言
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757年3月:仲麻呂が道祖王を廃太子
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757年6月:橘奈良麻呂が反乱→壊滅
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758年 :淳仁天皇即位→仲麻呂の独裁完成
橘奈良麻呂の乱の真相
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単なる権力争いではなく聖武天皇の遺言を守ろうとした行動
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擁立候補に道祖王・長屋王の息子たちが含まれていた
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440名粛清という苛烈な弾圧で反対勢力が完全消滅
孝謙天皇は女性天皇で独身なので皇統の危機が起きるのは必死。
将来の皇位継承を考えるのは朝廷官僚の首脳としては当然でもあった。ところが藤原仲麻呂らはこれを謀反と見なして
橘奈良麻呂らの追い落としにかかりました。
奈良麻呂の立てた計画は大伴古麻呂に美濃国不破関を閉鎖させ、
都で仲麻呂邸を襲撃し孝謙天皇を廃位させて
道祖王・塩焼王・安宿王・黄文王のいずれかを皇位にというものでした。
つまり奈良麻呂は聖武天皇の遺言を守ろうとしたわけです。
擁立候補に道祖王(聖武天皇が指名した皇太子)が含まれている。
乱の結果——仲麻呂の独裁が完成
藤原仲麻呂はこの事件により自分に不満を持つ政敵を一掃
758年 大炊王が即位し淳仁天皇となり
仲麻呂は右大臣に任ぜられ恵美押勝の名を与えられます。
そして760年には太政大臣にまで登りつめ栄耀栄華を極めました。
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年 |
出来事 |
構造 |
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756年 |
聖武天皇崩御→道祖王を皇太子に遺言 |
天武系の継承意図 |
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757年3月 |
孝謙天皇・仲麻呂が道祖王を廃太子 |
聖武の遺言を反故 |
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757年6月 |
橘奈良麻呂の乱→計画発覚 |
反対勢力の壊滅 |
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757年7月 |
黄文王(獄死)・安宿王(配流) |
長屋王の子たちも排除 |
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758年 |
大炊王が淳仁天皇に即位 |
仲麻呂の独裁完成 |
(CLAUDE作成)
参照:橘氏













